Jeet Kune Do -截拳道-
~The Way of the Intercepting Fist~
What is Jeet Kune Do?
ジークンドーとは、武術家ブルース・リーが創始した徒手空拳の武術である。
1964年に経験したルール無用の実戦において、
勝利を収めるまで非常に時間がかかってしまったことをきっかけに、
自らの武術を見直すこととなり、そこから研究・実験を重ね
1967年に自らのスタイルに“ジークンドー”とネーミングした。
その技法は1973年にブルース・リーが急逝するまで、テッド・ウォン師父をワークアウトパートナーとし、より高い効率性を求め変化・進化を遂げた。
ジークンドーの技術体系は独特なものであり、その土台はブルースが東洋の技術を分析したのみならず、ボクシングとフェンシングの歴史を研究調査し、
その特殊な構造、原理・原則、戦略等に多くのインスピレーションを得て、
全く新しい独自のスタイルとして創り上げた。
流儀を越え、二本ずつの手足を動かす“最善の方法”をその中に求めたのだ。
そのスタイル(武術)は、科学的な原理・原則に基づいて構築されているものでもあり、物理学的な法則に則している。
それは古典的なものではなく、別名、
“Scientific Street Fighting”とも呼ばれている。
Si-Jo Bruce Lee:Founder of Jeet Kune Do
The History of Jeet Kune Do《Late 1964》
■ジークンドーを創始するきかっけとった出来事
・オークランドのJunfan Gung-Fu Institute にて、白鶴拳の使い手の
ウォン・ジャックマンとルール無用の対戦を行う。
・即勝利出来ると思っていたが、相手が道場内を
逃げ回ったため、勝利を収めるのに3分間を要した。
・対戦後、伝統詠春の実用性に疑問を持ち始めると同時に
機動力や心肺機能の不足を感じる。
・古今東西の様々な武術/格闘技の研究に着手し始める。
Fencing that affected the Jeet Kune Do
Boxing that affected the Jeet Kune Do
The History of Jeet Kune Do《1967年~1970年》
■ジークンドー全技術の確立
・"ジークンドー"という名称を1967年7月から使い出す。
・科学的原理をさらに深く考察
『人間の五体・身体の体重・技術と戦略・物理法則・
哲学的原理/原則、それらをたえず変化してやまない実戦の中で、
最も効果的かつ効率的に使用(応用)できるようにするには、
何をどのようにすればよいのであろうか。』
・弟子であるテッド・ウォン師公を1967年8月より
プライベートスチューデント兼、ワークアウト&
スパーリングパートナーとし、実験をつみ重ねてゆく。
The History of Jeet Kune Do《1971年~1973年》
■ブルース・リーズ ジークンドー90%まで確立
・1971年より映画への出演と制作のため、香港に戻り在住。
この時期からワークアウトパートナー無しの一人研鑽となる。
非常に多忙な仕事に追われながらも、自身とジークンドーの更なる進化
のため、ハードなトレーニングを自らに課していた。
・目指すはジークンドーの最高境地、
本質のみを残した最高のシンプル化である。
・1973年初頭までに、自身が創り上げてきたジークンドーを
90%まで進化、確立させる。
・1973年7月20日急逝。
ジークンドーのさらなる進化と発展、そして完成は後継者である
テッド・ウォン師父へ引き継がれることとなった。
The History of Jeet Kune Do《1965年~1966年》
■ジークンドーの基礎技術の確立
・古今東西の武術/格闘技の資料を集めつつ、他流儀の修練者と交流。
最も効果的で最も効率的に実戦を体現しているものをリサーチする。
(各流儀の原理や戦術等)
・フェンシングとボクシングの原理に注目
(科学的考察、機動性、戦術等)
・フェンシング(長距離)、ボクシング(中距離)、詠春拳(近距離)の融合化。
※特にフェンシングのカウンター技術 “STOP Thrust”に
最大注目し、その原理と方法を自身の徒手武術の要として
応用した。これが後に “Jeet=截”のセオリーとなる。
※この時点ではジークンドーの名はまだ確立されておらず、
ジュンファン・グンフーの進化形態としてのものであった。
※蹴り技に関しては、跆拳道家のジューン・リーとの交流により、
跆拳道の技術を独自に改良し、応用する。
また、フランス式ボクシングのサバットの書籍にも注目し、
ボクシングと合わせた蹴り技とフットワークを取り入れた。